東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)84号 判決 1961年3月23日
原告 笹山慶子 外一名
被告 特許庁長官
主文
昭和三一年抗告審判第九九七号事件について、昭和三三年一一月二二日に特許庁がした審決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨
原告等は主文同旨の判決を求めた。
第二、請求原因
一、(一)、原告等は別紙第一の商標につき商標法(昭和三四年法律第一二七号により改正される前の商標法、以下旧商標法という)の施行規則第一五条に規定する第一類燐酸コデイン主剤のせきどめ薬をその指定商品として昭和二八年九月二二日登録出願をし(出願番号、商願昭二八―二四、八五六号)、昭和二九年六月二四日商標出願公告昭和二九―一二、〇一二号を以つてその出願公告があつた。
(二)、右出願公告に対し訴外株式会社三光丸本店から昭和二九年八月二二日商標登録異議の申立がせられた。前記出願商標が同訴外会社の有する登録第二三一、四一五号及び登録第二五四、八六四号の各登録商標に類似するという理由に基く異議申立である。右の結果、右出願商標は右訴外会社の登録第二五四、八六四号商標(別紙第二の商標)に類似するという理由で昭和三一年四月三〇日拒絶査定を受けるに至つた。旧商標法第二条第一項第九号を適用したものである。
(三)、右拒絶査定に対し、原告等は昭和三一年五月二三日抗告審判の請求をし、同事件は昭和三一年抗告審判第九九七号事件として係属したが、昭和三三年一一月二二日右請求は成り立たない旨の審決があり、同審決は同月三〇日原告等に送達された。
(四)、右審決の要旨は、本願商標と前記訴外会社所有の登録第二五四、八六四号商標とはその外観上の区別は可能であるが、本願商標の上部に黄色を以つてする人の顔に模した円と三日月の図形があるのはこれを月と太陽即ち「ニチゲツ」(日月)と見ることができ、又引用商標は左に黒く塗りつぶした三日月、右に同じく円を画き、その下部に楷書体で日月の文字を毛筆で縦書してなるからこれまた「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずるので両者はその称呼及び観念を同一にし、この点で両者は取引上誤認混淆のおそれが十分で、両者はその指定商品も互に抵触する関係にあるから、本願は旧商標法第二条第一項第九号の規定を適用すべきものであるというのであるというのである。
二、しかしながら右審決は次の理由により失当である。
(一)、原審決は引用商標との関係における誤認混淆性を判断するだけで、両者間の同一又は類似について認定することなくして直ちに旧商標法第二条第一項第九号の規定を適用している。法の適用を誤つたものである。
(二)、原審決は両商標間の外観形状の差異を無視してその誤認混淆性を認定したもので審理を尽さず理由の不備を免れない。
本願商標は「三日月」と「満月」とによつて人の顔を現わしたものであり、しかも着色限定したものであるから、その外観形状において明らかに前記引用商標と差異がある。
商標に対する吾人の直観的認識はその形状外観によつて得られる。形状外観こそ取引者需要者の目撃の対象となるからである。形状外観が他人の商標と異なるときは、これによつて称呼、観念も又別異のものが生ずる。この故に、商標の形状外観を無視又は軽視してその称呼、観念を論じ、誤認混淆性を結論することはできない。
そしてまた、商標において吾人の目撃の対象となる形状外観は、円とか四角とかの「形」ばかりでなく、その「色彩」についても具現される。この「形」と「色」とは同時かつ不可分的に吾人の認識に訴えて来るものであつて、いかに迅速を尊ぶ取引界においても商標の持つこの「色彩」を看過し、考慮しないで形状外観を直感認識することは吾人の経験則上あり得ないところである。この故に、本願商標と引用商標との間の形状観上の差異を論ずるためには本願商標の持つ色彩について考察することが肝要であり、またこの考慮の上に立つてその称呼、観念について論ずべきである。
原審決は両者間に存するこの形状外観色彩上の著差を無視して、その称呼、観念を論じ、混同誤認性を認めたものであつて明らかに失当である。
(三)、本願商標(着色限定出願)の色彩的特徴は
(1) 縦長方形紙牌の全面を僅かの縁を残して黒味を帯びた黄土色を以つて上方は黒味を濃くし、下方は薄くして塗りつぶし、更に紙牌の上部にある三日月形と円形とに近い背景を特に濃い黒色で施色し、更に
(2) 紙牌の上部にある人の顔に模した三日月形と円形とをいずれも黄色を以つて施色してある
点に存する。
右(1)の黒味を帯びた彩色は、それを背景として描かれている三日月形と対応し直感してこれを夜景(夜空の景観)なりと認識することが最も自然である。又この三日月形の左側にある円図形に対し、右側の三日月形と共通の背景を提供している同じく黒味の色彩は、これまた右三日月形の場合と同様、これを直感して夜景なりと認識するのが自然の観察というべきである。即ち、本願商標の上部に並んで描かれている人の顔に模した三日月と円形に対し共通の背景をなす黒味を帯びた彩色は、これを一見して、夜景なりと直感し認識さるべきものである。
次に、本願商標の三日月と並ぶ円形を太陽と見るべきか満月と見るべきかについては、それを彩色する前記(2)の黄色が圧倒的に重要な要素となるのである。本願商標のように、三日月形と組合せて表示されている円形は、これを若しそれが持つ彩色を度外視して観察すれば、「本薬剤を服用して直つた者の笑顔、即ち満月」と観念することができる反面、或いはまた「快癒した笑顔の太陽」とも見得ること原審決説示の通りであるかも知れない。しかし、本願商標のように、その円形が黄色を以つて彩色されるに至つては、もはやその結論は明白である。古来吾人の社会通念上「黄いろい太陽」なるものは存在せず、いやしくも円形の天体を黄色を以つて彩色してある限り、たとえそれが三日月形と関係付けて表示される場合でも、これを直感してまず「満月」と観察するのが通念であつて、これをしも太陽と見ようとするのは著しく経験則に反するものといわざるを得ない。
本願商標の着色に関する前記(1)及び(2)の色彩特徴は本願商標面に不可分の一体として現わされているものであるから、これを一見する者をして必ずや両者を同時総合して不可分的に観察し観念せしめるのを常とするから、結局本願商標によつてまず夜景(前記(1)の彩色)に浮かぶ三日月と満月(前記(2)の彩色)を直感的に認識するのが最も自然であるといわねばならない。殊に前記(1)の濃い黒色の彩色は黄色の三日月形と黄色の円図形に対し共通の背景を提供しているのであるから三日月形から得られる直感的印象(即ち天体の三日月であるとの印象)をそのまま黄色の円形に移すことによつてその円形が夜空に浮ぶ黄色の天体、即ち満月と認識せざるを得ないと見るのが最も吾人の経験則に合致するものである。
被告はこの点に関し、本願商標中特に「満月」なる文字が顕著に図形の表面に大書されておればいざ知らず、この黄色の円形を満月と観念することが困難のように主張するが、そのような註釈的記載を商標の表面に要求することは、本来インダストリアルデザインを生命とする商標に関するセンスを忘れた無理な議論であるばかりでなく、本願商標面には、そのような註釈にまさる註釈ともいうべき前記(1)及び(2)の彩色的特徴があるのである。
本願商標拒絶の理由に引用された商標は着色を限定せずして出願されたもので、左に黒く塗りつぶした三日月形、右に同じく黒く塗りつぶした円形を画き、その下部に楷書体で「日月」の文字を毛筆で縦書したものである。これを本願商標と比較するとき、たとえ両者を時と所を異にして観察しても、その彩色において、その形状外観において著差があること疑いの余地がない。本願商標を右引用商標と同様に称呼し、観念して、これを「日月」(ニチゲツ)なりと断定することは、以上の理由によつて明かに失当であるといわねばならない。
(四)、被告は乙第二号証を提出し、同号証の「軍配団扇において、右に弦月形を以て月を、左に円形を以つて太陽を表現している」例があるように、二箇以上の天体を同時又は関係付けて表現する場合には、必ず弦月形を月、円形を太陽とする社会通念がある旨主張するが、それは商標の持つ具体性、なかでも外観形状の一部を構成する「彩色」の問題を度外視した抽象的公式論にすぎない。乙第二号証における軍配団扇の円形が太陽と観念されるのは、実はその円形そのものにあるのではなくして、その円形の背景になつている軍配そのものに、古来から多年蓄積された吾人の伝統的智識ないし先入観があるからである。若し、その円形を軍配から遊離逸脱させてそれだけを観察すれば、到底これを同一に論ずることはできない性質のものである。被告の右主張は到庭これを首肯することはできない。
(五)、その他原告の主張に反する被告の主張は全部これを争う。
第三、被告の答弁
被告は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として次のように述べた。
一、原告等主張の一の事実は全部これを認める。
二、(一)、本件審決では、原告等の本願商標と引用商標との間においては、その両者は外観上の点においては互に区別し得る差があるとしても、その称呼及び観念を同一にし、この点で取引上誤認混淆を生ぜしめるおそれが十分であると判断している(乙第一号証審決)。両商標間の同一又は類似について認定するところがないという原告等の主張はこれを認めることはできない。
(二)、原告等は、原審決は商標の形状外観の差異を無視してその誤認混淆性を認定したもので審理不尽、理由不備の違法があると主張するが、本願商標と引用の登録商標とを対比的に全体を観察すれば、両者は外観上の点において差異なしとしないこと、審決もこれを説示しているところである。しかし両商標を離隔的にこれを見る場合、次の(三)において説明する通りの理由によつて、両者はその称呼及び観念を同一にするものと判断せざるを得ないところであつて、審決も両商標の外観上の差異はこれを認めつつも、なお右の意味においてその誤認混淆性を認めざるを得ないとしたものであり、何等原告等主張のようにその外観上の差異を無視したものではない。
原告等はなお本願商標と引用商標との間の形状外観上の差異を論ずるためには本願商標の持つ色彩について考察するを要する旨主張するが、これは、引用の登録商標は着色を限定せずして登録を受けたものであり、従つて他人の商標権に牴触しない限り施色の自由なものであることを忘れた議論である。
(三)、本願商標が原告等主張の通りの着色限定のものであることはこれを認める。そして右商標中上部の三日月形の部分と円図形の部分は「観る者によつては、咳になやむ者即ち三日月と、本薬剤を服用して直つた者の笑顔即ち満月とになぞらえたものと見られないこともないこと審決も説示する通りである。しかし右両図形はまた、審決もいう通り、これを「咳になやむ三日月と、それか快癒して笑顔の太陽を漫画的に表現した図形とも見られないこともない。即ち蔭と陽を表わしたものといえるから、これより『ニチゲツ』(日月)の称呼及び観念をも生ずるものといわざるを得ない」ものである。従つて「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずることの疑いのない引用の登録商標とは、その称呼及び観念において同一であると認めざるを得ない。
一般に世人が天体を書き表わすためにとる普通の形は、太陽(日)は円形、月は弦月形、星(太陽、地球、月を除いた普通に用いられる意味での星)は星形(俗に五稜星と称する)を以て表現するのを常則とする。殊に右の異なる三つの天体を二個又はそれ以上、同時或いは関係ずけて表現する場合には必ずこの用法に従つてされていることは吾人の日常経験するところである。例えば乙第二号証に示す軍配団扇において、右に弦月形をもつて月を、左に円形をもつて日(太陽)を表現している。そしてこの日と月は陰陽の関係をも示すことは世人一般の深く且つ広く認識するところである。このように月と他の天体なる太陽を組合せて表示するとか、同時に並列して表示する場合とかにおける表現方法は、右のように月を弦月形とし、太陽を円形として表示し、弦月形以外の円形を太陽を表示したものと認識するのが古くから慣習であり、現在における社会通念である。
原告等は、原審決は本願商標の色彩を看過して事を論じている不当があると主張するが、前記のような我国古来の慣習によれば、引用の登録商標のように、黒色で塗りつぶした円形と弦月形を以て構成されているものでも、これを太陽と三日月を現わしたものであり日月と称呼し観念するのが社会通念であり、仮りにこの引用登録商標の黒色を赤色にかえて着色した場合でも(引用の登録商標は着色を限定せずに登録を受けているものであるから、他人の登録商標に牴触しない限り何色を以つてしてもよいものであり、黒色にかえるに黄色を以つてしても、また赤色を以つてしてもよいものである)、赤色の円形と赤色の弦月形とを共に太陽とは見ず、弦月形の部分はこれを月と見て日月と称呼し観念するのが社会通念であろう。従つてたとえ本願商標の円図形の部分が黄色を以つて施色されているにしても、これを月とは見ず太陽と見るのが相当であるし、なお簡易迅速を尊ぶ取引界においては、施色の配合まで考慮することなく取引されると見るのが経験則であるから、本願商標中の図形の部分は、弦月形の部分は月、円形の部分は太陽と見て月(陰)日(陽)を現わしているものと直感観念せられるものと見るのが相当である。
従つて本願商標に対し特別の事情、即ち審決も説示するように「満月」なる文字が本願商標中に顕著に図形の表面に大書してある場合はいざ知らず、そうでない本願商標の場合は、右の図形からして「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずるものと見るのが相当であつて、原審決には何等の不当もない。
第四、証拠<省略>
理由
一、本願商標の特許庁における登録出願手続等についての原告等主張の一の事実は当事者間に争いのないところであり、成立に争いのない甲第三号証(乙第一号証)によれば原審決の審決理由の詳細は、
『本願の商標は縦長方形紙牌をローマ字を以て縁取り、その中を黒味を帯びた黄土色で塗潰し(この施色は上方は濃く、下方は薄くなつている)その上部に黄色を以て人の顔を模した円(この円は笑つた顔に画いてなる)及び三日月の図形(この三日月は咳をしている顔のように画いている)を一部で重合したものを画き(この周囲に黒い陰影を施している)その下部に赤色楕円形を配し、その中にゴシツク体白抜で「強力せきどめ」(強力の文字は縦書している)の文字を左横書し、更にこの下部に黄色ゴシツク体で「燐酸コデイン主剤」の文字を横書し、又更にこの縦長方形内左隅に黒線を以て円輪郭を描き稍々間隔を開け(この部分は白色)黒い細線を以て表わした円を描き、その中にゴシツク体白抜で「NA」のローマ字を配し、その右に「東京内外薬品商会富山」(東京、富山の文字は稍々小さく表わしている)の文字を横書し、その着色を商標見本に示す通りと限定してなり、「NA」の記号自体について権利不要求の申出をなしたもので、第一類燐酸コデイン主剤のせきどめ薬をその指定商品として昭和二八年九月二二日にその登録出願がありたるものである。
次に原審において拒絶の理由に引用した登録第二五四、八六四号の商標は左に黒く塗潰した三日月、右に同じく円を画き、その下部に楷書体で「日月」の文字を毛筆で縦書してなり第一類化学品、薬剤及び医療補助品をその指定商品として昭和八年一〇月二一日登録出願、同九年六月七日登録、同二九年七月一三日にその商標権存続期間更新の登録がなされたものである。
よつて両商標を比較するに構成上記の通りであるから、両者は外観上の点においては互に区別し得る差があるとしても、これを称呼上及び観念上よりみるとき、前者の商標中「強力せきどめ」の文字は薬効を、「燐酸コデイン主剤」の文字は薬剤の主成分を、「東京」「富山」の文字は産地又は販売地を、「内外薬品商会」の文字は会社名を、又「NA」は記号を夫々表示したもので特別顕著性を具有しないものであることは謂うまでもないものであるから本願商標の要部は人の顔を模した黄円並びに三日月の図形にあるものと謂わざるを得ないものであるばかりでなく、この部分は最も観者の注意を惹き、取引の対象となる部分であること経験則に照らし相当とするものである。而してこの部分は観る者によつては、咳になやむ者が即ち三日月と本薬剤を服用して、直つた者の笑顔即ち満月に擬えたものであるとも見られないこともないが、又咳になやむ三日月と、それが快癒して笑顔の太陽を漫画的に表現した図形とも見られないこともない。即ち陰と陽を表わしたものと謂えるから、これより「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念をも生ずるものと謂わざるを得ない。
後者においても陰陽即ち左に三日月、右に円を画き、その下部に日月の文字を書してなるから「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずること明らかである。従つて両商標は「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を同一にし、この点で取引上誤認混淆を生ぜしめる虞れが充分であり、且両商標の指定商品は互に牴触していること明らかであるから商標法第二条第一項第九号の規定を適用して拒絶査定をなした原査定は相当と謂わざるを得ない。
尚抗告審判請求人は本願商標は「顔」印であると主張するも、上述の通りの称呼及び観念を生ずると謂うを相当とする。又施色の配合は夜の暗黒を示しているから微笑する太陽と断定したことは誤りであると謂うが、簡易迅速を尊ぶ取引界においては満月と注釈がついている場合ならいざ知らず、施色の配合まで考慮することなく取引されていること経験則に照らし相当とするから「微笑する太陽」とも見られること上述した通りであるから、この点の主張も亦採用するに由ない。』
というにあることが認められ、本願商標と引用の登録商標とが右審決理由に説明する通りのものであることは別紙第一及び第二に徴しこれを認めるに足るところである。そしてまた右両商標の指定商品が右審決理由に説示する通りであること並びに右引用の登録商標の登録出願、登録及び存続期間更新の登録がいずれも右審決理由記載の通りにせられたことは本件口頭弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。
二、そこで原審決の理由の当否について判断する。
(一)、原告等はまず、原審決は引用商標との関係における誤認混淆性を判断するだけで、両者間の同一又は類似について認定することなくして直ちに旧商標法第二条第一項第九号を適用した違法があると主張する。しかし右条項における商標の同一又は類似の判断は、両商標が同一又は類似の商品に使用せられる場合において、その商品の品質出所等について誤認混淆のおそれがあるか否かによつてせられるところであるから、両商標間の誤認混淆性を論ずることは即ちその両者が同一又は類似のものであるか否かを論ずることに帰着するのであり、原審決は前認定の通りに説示して、本願商標と引用の登録商標との類似についてその判断をしているものと解すべきである。原告等の右主張は失当であつて到底排斥を免れない。
(二)、次に本願商標と引用の登録商標との類似性について考察する。
本願商標は前認定の通りの形状外観を持ち、また着色限定のものであつて、その要部は原審決もいう通り、人の顔を模した円及び三日月の図形にあるものと認められる。そして右図形中三日月の部分は咳をしている顔のように画かれており、円の部分は笑つた顔とせられ、いずれも黄色を以て顕著に着色せられている。そしてこの両図形を上方に画いた縦長方形の紙牌は、その全面を僅かの縁を残して黒味を帯びた黄土色で塗潰し(この施色は上方に濃く下方に薄くなつている)、なお紙牌の上部にある三日月と円形との右両図形の部分はその周囲に更に黒い陰影を施しているものである。
そこで問題は右のような本願商標が取引上果して如何なる称呼及び観念を生ずるかにある。被告は吾人の日常経験においては、月と太陽を組合せて表示するとか、同時に並列的に表示する場合には、月を弦月形とし太陽を円形として表示するのが古くからの慣習であり、現在における社会通念であつて、また月と日は陰陽の関係をも示すことは世人一般の深く且つ広く認識するところであるから、本願商標における前示図形はこれを「咳になやむ三日月と、それが快癒して笑顔となつた太陽を漫画的に表現した図形、即ち陰と陽を表わしたもの」と見るのが相当であり、これより「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずるものといわざるを得ないと主張する。そして右被告主張のような古くからの慣習なり社会通念の存することは、その成立に争のない乙第二号証の二の記載をまつまでもなく、一応これを認めて然るべきであろう。しかし円及び弦月形の図形が同時或いは関係ずけて表示せられた場合常にこれを太陽と月との組合せと見るべきかといえば、これは必ずしもそうはいえない。このことは被告も、右のような組合せの場合でも「満月」なる文字が顕著に図形の表面に大書してある場合は別であるとしてこれを認めている。そこで本件におけるつきつめた問題は、結局本願商標の右図形における弦月形と円形とにつき、これを月と太陽と見ず、三日月と満月と見るべき何等か特殊の事情があるか否かの点である。
ここで考えなければならないのは、同じ天体でも、月と太陽或いは星との間には、これを図形に書き表わすについてその形につき吾人の日常経験上顕著な差異があることである。太陽も日蝕の場合等を表現するとすれば別であるが、普通に太陽は円、星は星形を以て表現せられる。然るに月は、月にはみちかけがあつて、時には満月、或いは半月または三日月等となることがあるためか、その図形の上でも、或いは円形、或いは半円、或いは弦月形等に表現せられる。従つて半円或いは弦月形の図形を以て太陽と見ることは通常あり得ないところであるが、月においては円、半円、弦月形、いずれも皆これを月と見得るのであり、従つて円形と弦月形とが同時或いは関係ずけて表現せられた場合も、これを太陽と太陽との組合せと見ることはできない(両図形が共に赤色で着色せられた場合も、弦月形の部分を太陽とは見ないというのはこの故であろう)が、月と月、満月と三日月との組合せとはこれを見得るのである。従つて被告主張の前示の慣習ないし社会通念があることを前提においてもなお、事情の如何、しかもこの事情はそれほど重要なものでなくても、多少の事情の附加によつて、円形と弦月形との組合せを満月と三日月の表現と見得る場合があるものと解するのが相当であり、本件事案の解決に当つても、まずこのことをその第一の基盤とすべきものと考えられる。
そこで本願商標における前示の円及び弦月形の図形について、右両図形ともこれを月と月、満月と三日月とを組合せたものと見得べき特殊な事情があるか否かについて考えてみるのに、この点については原告等の強調するように本願商標の色彩的特徴が重要な要素をなすものと考えられる。本願商標においては、大体においてその紙牌の全面が黄土色を以つて塗りつぶされ、殊にこの黄土色は、円及び弦月形の画かれた上方部分においてはその施色が濃くせられ、なお右両図形の背面部分は更に濃い黒色を以つて施色せられているものであり、しかも右円及び弦月形の図形はいずれも黄色を以つて着色せられている。本願商標はこの着色上の特徴の上に立つてこれを見れば、右両図形の黄色とその背景にある黄土色ないし黒色と相まち、右両図形ともこれを夜空に浮ぶ月、満月と三日月と考えることは必ずしも困難なことではなく、前説示のような基盤上に立てば、寧ろこれを右のように月と月、満月と三日月と見ることが普通であると考えられ、右の施色は、被告のいう「満月」の文字が商標上に記載せられているのと同様の効果を奏しているものと認めるのが相当である。
なお右両図形における咳をしている形に画かれている弦月形と笑顔に画かれている円図形とからは陰陽の印象を受けること正に被告指摘の通りではあろう。しかし弦月の陰に比べれば満月はこれを陽と受取ること、必ずしも社会通念に反するものではないと考えられ、陰陽必ず月と日と見るの要はないものと考えられる。
従つて本願商標における右両図形を月と太陽と見、ここから本願商標は「ニチゲツ」(日月)の称呼及び観念を生ずるものとし、引用の登録商標とその称呼及び観念が同一であるとする原審決は失当である。
(三)、被告は本願商標の持つ色彩を強調することは、引用の登録商標が着色を限定せずして登録を受けたものであり、他人の商標権に牴触しない限り施色の自由なものであることを忘れた議論であると主張し、着色限定のない登録商標が右被告主張のように施色の自由なものであることは正に被告指摘の通りであろう。しかし本願商標と引用の登録商標との類否を判断するに当つて引用商標への着色の自由が問題となるのは、引用商標への着色の如何によつて、引用商標に本願商標とまぎらわしい称呼や観念が生ずる場合だけであろう。然るに本件引用の登録商標は、円形と三日月形の図形の下に「日月」の文字が記載されているのであるから、この図形を如何に着色するとしても、その称呼及び観念は「日月」の外には出ることのできないものと認められる。従つて「月と月」との観念及びそれに伴う称呼しか生じないものと認められる本願商標との関係で、その着色の如何を論ずることは無意味というの外はなく、右被告の主張もまたこれを採用できない。
また被告は簡易迅速を尊ぶ取引界においては、施色の配合まで考慮することなく取引されると見るのが経験則であると主張するが、いくら簡易迅速を尊ぶ取引界であつても、本件のように、前記の施色が本願商標について相当重要な意味を持ち、相当重要な働きをしている場合において、その施色についての考慮をしないものとは考えられない。被告の右主張もまたこれを採用することはできない。
三、以上の次第であるから、本願商標と引用の登録商標とを類似するものとし、本願商標の登録はこれを許すべからざるものとした原審決は失当であつて、到底取消を免れない。
よつて原審決を取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 原増司 山下朝一 吉田良正)
別紙第一
本件出願商標<省略>
別紙第二
登録第254,864号商標<省略>